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 あるそら寒い月の夜のこと、一人の父とその息子が、人に見られぬようひっそりと家を出ていく。父の背には背負子(しょいこ。二ノ宮金次郎が、歩きスマホをしながら薪を背負うのに使っているあれだ)があり、子は荷を後ろから支えている。よく見ると、背負われたその荷物は静かに息をしている。彼らは年老いた祖父を、山へ捨てに行くのだ。
 えっこらえっこら、枝を掻き分け、ついに山奥のどん詰まり。件の重荷を降ろした後、足早に去ろうとする父に、子は老人から外した背負子を持って続く。父は子に尋ねる。なぜそれをわざわざ持ち帰るのか。対して子は答える。
「だって、また遠からず、使いますもの」
 はっ、と我が身の行く末に思いを致した父は、慌てて老いた父を連れ帰り、末までの面倒を見たそうである。めでたしめでたし……
 
親捨て山、
といえば有名な昔話の一であり、いずれにせよ、老人を捨てる習わしはもはや昔むかしの話だ。昔むかし。
 私は高架の耳鳴りを抜けて狭い道路を歩く。生活するコンクリートの隙間から一瞬射す朝陽の目眩の中、人々の背に背負子の群れ、駐輪場の金網に月夜の木々の幻が現れ、何も言わずこちらを見る。私は服の広告が気になるふりをする。そんな顔をされたって、困る。
 でも、その代わりに私、母の生涯について、お話しようと思います。
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